あれから二十年
あれから二十年以上になるかと思うと、とても不思議だ。ついこのあいだのような気がする。『ヒネミの商人』の初演は一九九三年の夏だった。
タイトルにある「ヒネミ」は町の名前だ。その年の一月、私は、その町の名前をタイトルにした、『ヒネミ』という戯曲で岸田戯曲賞を受賞した。
架空の町だ。
いまはもう存在しない。その存在しないヒネミについて、かつてその町に住んでいた人々に会い、記憶を集め、その地図を書いている男の物語だ。男の行為に潜むのは奇妙で強い熱意だが、ちょっと見方を変えれば狂気にもとれる。男の物語であると同時に、町の物語であり、いや、町だけではなく、消えてしまったもの、忘れられたもの、失ってしまったものについて書いたのかもしれない。私にももちろん故郷はあるがしばらく帰っていなかった。記憶のなかに町はあった。消えてしまったかのように。ノスタルジーとか、懐古趣味だと言われても強く否定しようとは思わない。懐かしい気持ちはたしかにあるからだし、では、そのことをいかに書くか、どのように表現するかが、作家や演出家の仕事だと思っている。
そしてこれは、ヒネミを舞台にしたまたべつのお話だ。
ヒネミという町に赤心堂という名前の小さな印刷屋がある。
道から入ってすぐ、通りに面した部屋は赤心堂の事務所だ。奥に印刷工場がある。もう一方の奥がこの家の居間だ。階段の上には寝室。高校生の娘の部屋。ある午後の数時間だけの話だ。それほど劇的なことは起らないし、他人からすれば、どうでもいいようなことに人は悩み、どうでもいいことの積み重ねのなかで生きている。それはべつに、ヒネミの住人だけの話ではない。私だってそうだ。
そして何年か前、『資本論も読む』という本を書いたが、もちろんこれはマルクスの『資本論』を読むという、経済学の専門家でもない者による無謀な試みだった。なにをするにも、「資本」というやつが、前方に立ち塞がって人の気分を萎えさせる。かといって無視もできないし、それをばかにすれば生きていけない。どうでもいい日常と、その背後にある資本は、まるで人を翻弄する自然現象のように、ゆったり生活のなかににじんでいる。
自然の前で、私をふくめ人はひどく愚かだ。
ほんとうにばかだなあ。
ノスタルジーかもしれない。懐古趣味と言われてもいいから、消えてしまったものについて描きたいのだ。消えてしまったかつてあったはずのもの。それをどう描くかという試みのひとつがこの『ヒネミの商人』だ。
振り返ると懐かしい人がそこにいる。でも、それはよく知っている、あの日の、あの人とはちがう。いま気がついた、「再演」は私にしたら珍しいし、しかもこれが二十年以上前に上演した作品だとしたら、『ヒネミの商人』こそ懐かしい人だ。繰り返すが、けれどそれは、よく知っている、あの日の、あの人とはちがう人物だ。
その町はかつてあった
戯曲『ヒネミ』の冒頭のト書きはこうはじまる。
かつてヒネミという町があった。
いまは存在しない。
北と南には森があった。町の中心を東西に川が流れていた。人口は一万人足らず。これといった産業はなく、町はいつも眠そうな表情をしていた。佐竹健二が少年時代を過ごした家はその町にあった。
お日様の「日」、根っこの「根」、そして「水」と書いて、「日根水(=ヒネミ)」だ。
率直に言って、それは私が生まれた町、少年期を過ごした静岡県の掛川市がモデルだ。もちろん、説森さんという人など近所に住んではいなかったし、噂にしか語られない軍村さんという名前も架空だ。あの町に住んでいたよく知っている人たちをイメージして書いた。あるいは、佐竹家の近くに住む親子が自殺した話は事実だ。どこそこの娘が、どこかの男と連れだって歩いていたという話を大人たちがしているのも記憶にある。中学生のある日、学校から帰ると上がり框に静岡新聞の夕刊が届けられていた。大きな活字で「三島由紀夫自決」という文字があったのもはっきり記憶している。
そして、『ヒネミの商人』の主人公が営む印刷所の「赤心堂印刷」は実際に、掛川の町にあった。だが、わたしはその印刷所の人たちのことをなにも知らない。登場人物はまったくフィクションだ。
掛川城の跡を公園にした小高い山から、川を越え、まっすぐ駅に向かって伸びる少し幅の広い通り沿いに、「赤心堂印刷」はあった。隣にはパチンコ屋、近くに「なんでも十円」という店があった。いまで言ったら「百円ショップ」だ。だが、「なんでも十円」はなんでも十円ではなかったので、子どもだった私たちをひどく失望させた。掛川がモデルだが、『ヒネミ』で、そして『ヒネミの商人』で語られることの多くは物語上の創造だ。十日森神社はなかった。交差点で棒を振り回す男はいなかった。円盤も飛んではいなかった。特別な力を持つ石もなかった。けれど、不思議なことはいくつもあった。人の不幸もいくつもあった。大好きな人たちがいた。いつも酔っ払って、なぜか子どもの私に、十円をくれるおじさんがいた。
おそらくヒネミはどこにもである土地だ。
特別な町ではない。軍村さんの娘が外人と歩いているようなことはどこでだってあり、ある時代の地方の町ではそれが噂話になって人から人へと語られたのだ。東西に川が流れている。通り沿いにカメラ屋さんがある。町内で旅行に行く。
そして、いつも子どもの声が聞こえていた。
そのころ町は小さかった。子どもは歩いて映画館に遊びに行った。子どもの声が町を活気づけた。やがて、あんなににぎやかだった子どもの声は町から消えていく。ヒネミもそうだった。
かつてヒネミという町があった。いまはもうない。

